「人間は何のために生きるのか」という基本的な思い、生きがい、生き様、自分の命に代えられない何かを求めるということ。自分の存在はお金のためだけではなく、誰かのために役に立ちたいと思うこと。日本の社会のなかで、そのような思いが、若者を含めた幅広い人々の間に広まりつつあるのを感じます。思いある方々の活躍の場を増やし、形として残すことも、志のある者の役割のひとつと考えます。
この中南米協働隊は、志を一にする賛同者によりグループ結成され、2015年11月14日に正式に始動しました。中南米諸国、とりわけニカラグア共和国を中心とする「中米・カリブ海諸国」の人々と連携し、主として「貧困・環境・人権・教育・子どもの強制労働・フェアートレード・マイクロクレジット・防災」などのテーマでの開発協力を行い、多面的な絆の強化を模索していきます。
アジア・アフリカを対象として活動中の協力組織に比べ、中南米関連のものは多くありません。現状は、取り扱うテーマを含め、信頼し得る中核パートナーを更に拡充すべく活動を進めている段階です。
あくまでもハンドメイドの組織を時間をかけて、持続可能な状態にまで作り上げていくために、核となる何人かと様々な議論を行い、方針がぶれないようにする準備段階の打ち合わせを重ねることが当面の課題です。現地で必要なニーズを吸い上げ、お役に立てるような草の根レベルの活動の実現を目指します。
ハードパワーに頼らず、世界に現存する諸問題に対し、日本のような国・国民が今後、汗をかいて現場でのプレゼンスを高め、尊敬され・必要とされるようになるために、様々な分野における市民活動に携わる者の層を厚くしていくことが必要であると感じています。
善意の押しつけにならないような真の国際協力を目指し、同じ地球上に住む人間の当然の行為として、ともに生き、ともに喜び合える温かな心の交流を求めていきたいと考えます。
ICTが発達した現代は、「個の時代」とも言われ、国家の枠組みだけではすまない時代となりました。他方で、絶望感・虚無感がはびこり、一段と格差が拡大する社会となっています。まさにグローバリズムの“光と影“が鮮明化し、この影の部分に対し、手当てする平和的で合理的な解決策を見出さねばならなくなっています。更には、勝ち負けを超えた新たな価値を創造し、空気に流されることなく、突っ張りすぎた社会を変え、余裕のある・寛容で豊かな社会を作る必要があると痛感します。
人は誰でもこの世に生まれて幸せに生きる権利を与えられています。ところが多くの人々は様々な問題を抱えているために、苦しみから逃れられないでいるのではないでしょうか。私たちは活動を通じて、途上国の諸問題の解決に取り組みます。同時に、日本人として途上国の貧しさを批評するよりも、むしろ私たちの心の貧しさこそが問題であり、それを改善していくために途上国の人々と互いに助け合い、ともに生きることを学び、喜びを分かち合いたいと思います。そして、私たち自身のライフスタイルも根本的に見直していきたいとも考えています。
私たち日本人が、高度経済成長等を経て失われつつあるとされる、人への思いやりの心を取り戻していきたいと思います。あらゆる組織や宗教、国家や民族を超えて人々が喜びや痛みを分かち合い、基本的人権や民族自決権など人間が生きていくために必要な最低限の権利が保障される社会が構築されることを切望します。そのためにも、次代を担う若者に継承してもらえるような強固で持続可能な組織にしたいと願います。
上述のような思いに至った過程には、以下の要素・遠因・発想が働いています。
(A) 一部先進国の豊かさは多くの途上国の犠牲のうえに成り立っているという事実を認識し、経済至上・拝金主義から脱却し、人間生活・市民社会における豊かさの本質を見据えてゆくことの重要性を訴え、警鐘を鳴らしてゆく必要があります。
(B) かつては「経済一流国」だった日本。現在、あらゆる指標においての相対的ポジションの低下現象という足元での深刻な問題にも目を向ける必要があるという現実。一方で、世界においてはまだかつての「経済一流国」のイメージが払拭されないが故の「日本への金頼み傾向」だけが残ってしまっている現実との乖離。この大きさに早く日本人自身が気付く必要があります。
(C) 更には、「日本への金頼み傾向」の深層には、「尊敬されていない日本人」・「一目も置かれていない日本人」・「誤解されやすい日本人」・「全く正確に理解されていない日本人・日本国」などといった厳しい現実が見え隠れしているのも、事実であることをより意識すべきです。
(D) では、「尊敬され得る日本人・日本国」になるべきであるということを前提とした議論のなかで、否応なしに進行しているグローバリゼーションのもと、そしてこの世界で生き延びていくために、経済活動をも緩めることができないというこの国のおかれた自国・世界に対する責任・必要性をも加味したうえでの「解」のいくつかは;
1.経済進出や活動のみがあまりにも突出せずに、軋轢なども生まずに成功させ得るものにしてゆくための一つの手段として、各種文化交流や草の根レベルでの活動をも含む人的交流や支援活動などが、経済活動に先駆け、或いは平行して実行され得る様な社会システムの構築が求められます。あらゆる分野での、流動化が加速している昨今において、世界のどこにおいてでも存在している・発生する諸問題は、いつ・いかなる時・場所でも自分がそれらの当事者となってしまいかねない時代となってしまいました。よって、多様性・寛容性を認め、空気に流されない強固な社会を、そしてその社会の安定装置の構築や世界社会での諸問題を自分ごととして引き寄せ未知なるものに挑戦し、可能性を追求することが肝要です。それらの目的達成を阻害する最大の敵は、「無関心」です。
2.いまだに“欧米に追い付け・追い越せ”志向の強い日本人ですが、もはや全世界に向けてお手本を示さなければならない地点まで到達しました。その努力に加え、途上国とも文化交流・相互理解を活発化させる努力も行う必要があります。
3.国際開発協力活動などに携わる市民社会の重層化・関連する活動の強化などを「草の根レベル」から推進し、根本的に立て直しを図ることではないでしょうか。
スローガン:「祈る平和」から市民が「創る平和」へ
(E) 冷戦体制崩壊後、各国におけるグローバリゼーションの功罪や影響についての分析は不十分でした。混沌とする現下の世界情勢に対し、有効な手立て・措置・ システムを構築する努力は不足していました。
その結果、国連等の国際機関の機能は低下・行き詰まり、地球規模での諸問題、例えば、 国境と民族・主要宗教の原理主義への急速な傾倒、南北問題、貧困問題、地球環境問題、資源問題、人権問題(人間の安全保障)、社会の情報化度合いのアンバランスなどの共通問題に対し、各種の国際会議や先進国首脳会議などは開催されても、有効な解決への糸口や手段が見出せずにいます。
先進国は益々発展、取り残される国々は益々その状態を悪化させ、この格差が 日々拡大するなか、困窮層/貧困集団の豊かな社会への憧れ/妬みや当然の権利などが無視・黙殺されていきます。そしてまた一部の先進国内の一部の歪んだ世界観が台頭してきた過程で、過激な思想がはびこり、否応無しにテロ活動へと駆り立てられ、現実に斯かる活動が多くの不幸な事態を頻繁に生む世界にと変わってきてしまいました。
それらの動きに対しても、一部先進国は、テロへの報復、欧米型民主主義の押し付けが、上述のような世界レベルでの共通諸問題への唯一の解決であるかのように錯覚した行動を取る傾向にあります。問題は更に「ほぐしようの無いもつれた糸状態」となり、復興支援という名の破壊行動にすり替えてはばからない世界と化してしまっています。
このような状態に立ち至ってしまった現在、即効薬はすぐに見出せないのは明らかなことです。
しかし、我々が見出した「解」は、以下のような基本コンセプトでの草の根市民レベルの国際開発協力です。
1.決して金銭面での援助に終始しない、自立/自存/自助努力支援型、 対象者の共生参画型プロジェクトの発掘・企画・実施への持続的協力
2. 「箱型」から「ソフト物型」支援へ
3.現地で目に見える汗をかく支援
4.人材開発・人間の安全保障型支援
共感頂ける皆様方と更なる議論を重ね、実働に向けてのより良い活動グループに仕上げて参りたいと考えています。
各種格差問題に象徴される現代世界の様々な問題、取り分け中米・カリブ海諸国の貧しい人々の生活上の問題解決に向けた活動を現地及び日本国内で行い、すべての人々が豊かに共生できる地球社会の実現に微力ながら、努力します。
経済のグローバル化に対する反作用・引き起こした影の部分にスポットをあて格差社会・貧富の差の増大・環境問題などなど様々な問題の解決のためにも微力ながら、努力します。
平和な世界社会に向け、
欲するばかりでは、平和や幸運は手に入らない。
そのためのひとつのカギは、人に手をさしのべられる広い心。
以上
成瀬 健治
1952年埼玉県生まれ。上智大学にて、国際関係論・比較文化・文化人類学・日本人論・
日本学・イスパニア語・スペイン/中南米文学・哲学・歴史・政治経済などを専攻。その過程で、
特に「南北問題」に強い関心を抱く。卒業後、総合商社に勤務、2015年6月に「中南米協働隊」
立ち上げのため、同社を退職。同社勤務中に、中南米諸国を中心に延べ約20年間、5か国に
駐在勤務を経験。2001年~2005年の東京勤務の期間に、国際開発協力関係の研鑽を重ね、
2004年以降、「中南米協働隊」の設立に向けた諸準備を開始、今日に至る。
渋谷
東京生まれ。東北大学大学院、北陸先端科学技術大学院大学 (修士課程)を修了。
40ヶ国以上を旅した経験から、国際協力活動に関心をもつ。
IT関連の職と並行し、途上国の子ども関連のボランティアを続け、
2004年より中南米協働隊の活動に関わり、現在に至る。